パテック フィリップはティファニーとのパートナーシップ締結170周年を記念した「ノーチラス 5711/1A-018」を発表した。ニューヨークにあるティファニーの本店でのみ購入可能なモデルは約7億3500万円で落札されたという。何が凄いのか?
パートナーシップ170周年を祝したモデル
パテック フィリップは2021年12月、年内での生産終了を発表している3針SSケースの「ノーチラス 5711/1A」の新バージョンを発表した。“ティファニーブルー”をダイアルにまとった「5711/1A-018」だ。
「ノーチラス 5711/1A-018」はそのダイアルカラーや文字盤上のブランドロゴからも明らかなように、ティファニーとのダブルネームモデルである。1830年代に創業した両社は51年にパートナーシップを締結し、ティファニーは米国における最初のパテック フィリップの小売店となった。「ノーチラス 5711/1A-018」は、そのパートナーシップ170周年を祝したモデルである。
ラストイヤーということもあり、入手が極めて困難な時計となってしまった「ノーチラス 5711/1A」は、ティファニーとのダブルネームという希少性が加わっってさらに注目を集めることになった。だが、話題性を除いたとしても、やはりこのモデルは特別だ。
それはなぜか。まず、パテック フィリップと2021年2月にLVMH傘下となったティファニーの関係性がこれからも続くという強いメッセージを汲み取らねばなるまい。
そもそもパテック フィリップとティファニーは、単なる時計ブランドと小売業の間柄に止まらない。かつてティファニーがジュネーブにもっていた時計工場を手放す際、パテック フィリップが買い取っている。そして以降のティファニー製懐中時計のムーブメントをパテック フィリップが手掛けてきたことは時計愛好家には有名な話であり、数多ある話題づくりだけを目的とするだけのコラボではないのである。
ちなみに正式なコラボレーションモデルとしてカタログに掲載したダブルネームウォッチはパートナーシップ150周年を記念した01年の「年次カレンダー 5150」や12年の「年次カレンダー 5396」など、ごくわずか。新作の「ノーチラス 5711/1A-01」もこの文脈にあたる。
ところで、時計の特徴をおさらいしておくと、ティファニーはニューヨークの本店でのみ購入可能なパテック フィリップとのダブルネームウォッチを数多く発売しているが、大きな変更点はない。ロゴなど、既存モデルの一部に手を加えただけである。
新作のディテールをチェックしよう。やはり目を引くのは文字盤だ。真鍮製のダイアルにエンボス加工という組み合わせは既存モデルに同じ。気になるティファニーブルーはラッカーで塗装している。「5711/1A」のラストイヤーはPVDによるグリーン文字盤を導入していたが、同作ではこれまでのブルーやホワイトモデルに回帰した形だ。
サファイアクリスタル製ケースバックには長年のパートナーシップを祝うべく「170th ANNIVERSARY」の文字と「1851-2021」、そして「TIFFANY & CO – PATEK PHILIPPE」の文字がプリントされる。注目すべきは「2021」の「1」部分に小さく「LVMH」のロゴが入っている点。前述のように、これはティファニーの資本がLVMHに変わっても両社の関係は続くという強いアピールである。
ただでさえ入手困難だった「5711/1A」は、ラストイヤーの発表もあって、より手の届かない存在となった。オークションサイトではグリーン文字盤モデルが定価の約13倍の価格で落札されている。この流れを受けて登場した「ノーチラス 5711/1A-01」は、フィリップス主催の「The 2021 New York Watch Auction」に早速登場。約7億3500万円で落札された。「ノーチラス 5711/1A」の伝説を締めくくるにふさわしいモデルだ。
【関連記事】:https://www.zamnoy.com/blogs/tikecopy520
世界のファッションやコレクションをはじめ、ファッションモデルやビューティ、ジュエリーなど、 ファッショントレンド、コーディネートをご紹介。
新作情報をご紹介。海外セレブやモデルのスナップ写真も掲載。気になるセレブの愛用品をチェック
ロレックス デイトナの正式名称は「オイスターパーペチュアル コスモグラフ デイトナ」です。
コロナによって世界もライフスタイルも変化するなかで迎えた2022年。パートナーとして選ぶなら、強い力を秘め、永遠の輝きを放つダイヤモンドをあしらったジュエリーがおすすめです。
オメガは多くのスピードマスターを幅広い価格帯で製造している。
その時計を振り返ることで、私は昔の自分、そして今の自分を知ることができた。ロレックスすべての時計には、何かしらのストーリーがあるのではないだろうか。たとえそれが、自分以外の誰かにとっては何の意味もないものであっても。私はそう思っている。